第一話 白い時間
生まれつき全能の青年、常盤遍。欲しいものは、欲しいと思う前に手に入っている。驚くということを、七百年、忘れている——そんな彼が、今夜、たったひとつだけ願う。
目が覚めると、光がちょうどいい角度で天井にかかっていた。
眩しすぎず、暗すぎない。カーテンの隙間から差し込む朝の光は、まるで誰かが定規を当てて調整したように、いつも同じ場所で同じ濃さに止まっている。実際には誰も調整していない。ただ、そうなる。それだけのことだ。
常盤遍は布団の中で少しのあいだ、その光を眺めていた。眺めるという行為に、意味はほとんどない。次に何が起こるか、遍にはだいたい分かっているからだ。起き上がれば、水を一杯飲みたくなる。飲めば、ちょうどいい温度で、コップの底に小さな気泡が三つほど残る。いつもそうだ。今日も、たぶんそうなる。
それでも遍は毎朝、律儀に布団から出た。
何もしないという選択肢もあるにはあった。だが何もしないでいることと、天井を見上げていることのあいだに、実のところ大きな違いはない。どちらも同じくらい、何も起こらない。それなら、身体を動かしているぶんだけ、まだましだった。
洗面所の鏡には、いつもと同じ顔があった。皺のない、老いのない、年齢の見当がつかない顔。遍はその顔を、他人のもののように眺めることがある。この顔で、いくつの朝を迎えてきただろう。数えてみようとしたことも、昔はあった。だが数字が大きくなりすぎたあたりで、数えること自体がばかばかしくなった。歳を取ることを、いつからか、しなくなった。それがいつからなのかさえ、もう思い出せない。
部屋は広くない。物も少ない。長く同じ場所に住んでいると、物を増やす気力そのものが薄れていく。欲しいと思ったものは、たいてい欲しいと思う前に手に入っている。だから「欲しい」という言葉の輪郭が、遍の中ではだんだん曖昧になっていった。棚には本が並んでいるが、そのほとんどは、内容を覚える前に、内容を知ってしまった本だった。
クローゼットを開ける。今日はどれを着ようか、と一応は考える。考えている間に、手はもう、いちばん袖を通しやすい服の方へ伸びている。着てみれば、ちょうどいい気温に合っている。寒すぎず、暑すぎず。天気を調べたわけではない。ただ、いつもそうなる。遍は時々、わざと季節外れの服を選んでみることがある。真夏に厚手のセーターを着てみたこともあった。その日に限って、朝から急に冷え込んだ。誰かが仕組んだのか、それとも遍の選択の方が、天気に追いついてしまったのか。どちらが先だったのか、確かめる方法はもう遍にもない。
台所に立つと、コーヒーメーカーはすでに動き終えていた。
遍が飲みたいと思う前に、豆は挽かれ、湯は沸き、粉は蒸らされ、抽出は終わっている。誰かが用意したわけではない。この家に住んでいるのは遍ひとりだ。ただ、飲みたいと思う頃には、いつもすでに済んでいる。まるで時間の方が、遍より一歩先に歩いているみたいに。
カップに注ぐ。湯気が立つ。香りを確かめる真似だけはする。舌の記憶と、鼻の記憶と、今日のこれとを、律儀に照らし合わせる。結果はいつも同じだ。狂いがない。狂いがないというのは、褒め言葉にはならない。
一度だけ、試したことがある。何百年か前のことだ。わざと、いつもと違う豆を選んでみた。いつもと違う挽き方で、いつもと違う分量で。結果は同じだった。味は、寸分違わず「いつもの味」に落ち着いた。遍が変えたつもりの部分ごと、世界の側が丸く均してしまうのか、それとも遍の舌そのものが、もう「いつもの味」しか感知できなくなっているのか。どちらなのか、遍にはいまだに分からない。分かろうとするのも、もうやめた。
遍は一口飲んで、それから窓の外を見た。
雨が降っていた。降っているはずだった。実際、遠くの屋根はまだ濡れて光っている。だが遍の家の前の道だけは、乾いていた。正確に言えば、乾いている「途中」だった。まるで雨粒たちが、この一角だけは避けて通ろうと、少し早めに帰り支度を始めたかのように。
遍は傘を持たずに家を出た。
案の定、彼の一歩先だけ、雨は止んでいた。歩けば、その歩幅ぶんだけ空が乾いていく。まるで彼を先導するように、あるいは彼から逃げるように。振り返ると、後ろはちゃんと雨だった。濡れていない道の両側で、世界はちゃんと雨に濡れている。彼のために特別何かが起きているのではなく、彼の周りだけ、何かが「起きない」。そういう種類の異常だった。
遍はこの現象に、もう名前をつけていない。名前をつけたのは、ずいぶん昔の話だ。「乾いた道」とか、「先回りする晴れ間」とか、そんなふうに呼んでいた時期もあった気がする。今はただ、歩く。濡れない道を、当然のように。傘を持つ人々とすれ違いながら、彼らの傘の骨に溜まった雨粒だけを、少し眩しく感じながら。
商店街に入ると、宝くじ売り場の前に列ができていた。遍はその前を素通りした。一度だけ、若い頃——「若い」という言葉が正しいのかどうかも怪しいが——好奇心でくじを買ってみたことがある。結果は、下から数えた方が早い金額だった。当たりすぎず、外れすぎず。まるで世界が、遍の手元にある紙切れの価値までも、几帳面に丸めてしまったかのように。それ以来、遍はくじを買わない。買っても、意味のある数字は出ない。出るとしたら、それは「意味のなさ」という結果においてだけ、正確だった。
丸められるのは、くじの類だけではない。行列のできる店の前を通りかかれば、ちょうど一人分だけ席が空く。満員のバスに乗れば、目の前の吊り革だけが、すっと空く。手を離した当人は、自分がなぜ手を離したのか分からない、という顔をしている。誰も遍に譲ったつもりはなく、遍も譲られたつもりはない。ただ、世界のあちこちに、遍の形をした隙間が、先回りして開いていくだけだ。だから遍は近頃、行列を見かけると、並ばずに帰ることにしている。並ぶという行為が、遍には成立しないからだ。待つというのは、いつ順番が来るか分からない者にだけ許された、上等な時間だった。
商店街を抜けたところに、小さな古書店がある。もう何十年も、あるいはもっと前から、そこにある店だ。店主が変わっても、看板の字体が変わっても、位置だけは変わらない。遍は時々そこに寄って、適当に一冊選んでは、店の隅の椅子に腰掛けて読む。
今日は、目をつぶって棚に手を伸ばしてみた。指先に触れた背表紙を、そのまま引き抜く。せめて選ぶ瞬間だけでも、自分の意志を出し抜いてみようという、ささやかな悪あがきだった。
出てきたのは、見知らぬ作家の推理小説だった。装丁も、著者の名も、初めて見るものだ。それは新鮮だった。少なくとも、選ぶ瞬間までは。
二十ページも読まないうちに、遍は誰が犯人か知った。
論理的に推理したわけではない。手がかりを拾い集めたわけでもない。ただ、分かってしまった。ページを繰るごとに、まだ書かれていない結末が、書かれた文字よりも先に、頭の中に静かに置かれていく。作家が苦労して隠したはずの真実が、遍にとっては最初から、本の表紙よりも表に出ている。目をつぶって選んだところで、何も変わらなかった。選ぶ手を出し抜いても、結末は出し抜けない。
遍は本を閉じなかった。最後まで読んだ。犯人が誰かを知っていても、文章そのものは、まだ知らないものだったから。言葉の並び、比喩の選び方、登場人物が何度目でため息をつくか——そういう細部だけが、かろうじて遍の知らないものとして残っている。読み終える頃には、それすらも、もう知っていたことのような気がしてくるのだが。
だが、それすらも、いつか慣れてしまうのだろう。今はまだ、その予感がしないだけで。
古書店を出ると、店主が顔を上げて「またのお越しを」と言った。遍はその一言が来ることを、店主が口を開く前から知っていた。会釈だけを返した。店主は今日も、遍の顔をよく覚えていないようだった。何年も通っているのに。前に来た時も、その前に来た時も、店主は同じ調子で「お客さん、初めてですか」と聞きかけて、途中でやめた。何かが引っかかったが、その何かの正体までは追わなかった、という顔で。
これも、遍にはもう驚きではない。
世界は、遍のことを大きく覚えようとしない。目立つ結果は、いつのまにか丸められる。的中しすぎた予想は、誰かの記憶の中で「まあまあ当たった」程度に縮む。奇跡のように見えかけた瞬間は、次の瞬間には「そんなこともあるか」という顔で、日常の中に溶けて消える。遍がそう望んだ覚えはない。ただ、世界がそう扱ってくれる。彼を見咎める者がいないように。彼が、目立たないように。
都合がいいと言えば、都合がいい。
だが都合の良さというのは、退屈のもうひとつの名前でしかない。
遍は、自分の力で何かを大きく動かそうと思ったことが、実はほとんどない。国を興すことも、誰かを従えることも、考えたことすらない。競う相手がいない場所で、勝ち負けにどれほどの意味があるだろう。強さというのは本来、誰かと比べて初めて形になるものだ。比べる相手のいない強さは、ただの前提でしかない。空気の重さや、水の透明さと同じ、当たり前すぎて意識にも上らないものになる。
だから遍は、ただ歩く。ただ見る。目立たないように、丸められるままに。それが傲慢さの否定なのか、それとも単なる無気力なのか、遍自身にもよく分からない。ただ、誰かを見下すという感覚を、遍はこれまで一度も持ったことがなかった。見下すには、相手と自分のあいだに、何か比べられるものがなければならない。遍にとって、比べられるものは、もうどこにもなかった。
昼、駅前の小さな喫茶店に入った。店員が注文を取りに来る。彼女が口を開く前から、遍には彼女が何を言うか分かっていた。「ご注文はお決まりですか」。分かっていて、それでも遍は律儀に耳を傾けた。彼女の声の高さ、間の取り方、微かな訛り——そういう細部だけは、まだ知らないものだった。遍は、その知らない部分にだけ、意識を集めるようにしている。会話の中身ではなく、会話の肌理を聞く。それが、遍にとって、この世界とかろうじて繋がっていられる唯一のやり方だった。
隣の席で、学生らしき二人が言い争いをしていた。片方が声を荒らげ、もう片方が黙り込む。遍には、あと三往復ほどでどちらかが折れることが分かっていた。
二往復目で、黙っていた方が、急に笑い出した。
遍は、コーヒーカップを持つ手を、わずかに止めた。予測のどこにもなかった動きだった。声を荒らげていた方も、一瞬、毒気を抜かれたような顔をする。何かが起こる、と遍は思った。何百年ぶりかで、次の一言が読めないという感覚があった。心臓の位置にあたる場所が、ほんの少し、熱を持った気がした。
笑った学生は、そのまま「お前が本気で怒るとその顔になるの、久しぶりに見た」と言って、もう一方の肩を叩いた。荒らげていた方も、毒気を抜かれたまま、結局は笑って折れた。三往復目には、二人とも笑っていた。
遍は、カップを置いた。予測から外れたのは、順番だけだった。折れるという結末そのものは、最初から変わっていない。ただ、その手前に、遍の知らない一手が挟まっていた。それだけのことだ。それだけのことなのに、遍はしばらく、その「それだけ」を、噛みしめるように味わっていた。彼らの表情——悔しさとか、照れとか、そういうものの浮かび方だけは、いつも遍の予測の外側にある。感情の中身は毎回同じでも、それが顔に出てくる速度や角度、途中に挟まる寄り道の形は、少しずつ違う。遍が今も人を眺め続けている理由は、たぶん、そこにしかない。
夕方になり、遍は河原を歩いた。橋の下を、水がゆっくり流れていく。子供が二人、石を投げて水切りをして遊んでいた。一人が三回跳ねさせて、もう一人が五回跳ねさせて、それぞれ小さく歓声を上げる。遍には、投げる前から、それぞれ何回跳ねるか分かっていた。分かっていても、跳ねる瞬間から目を逸らさなかった。子供たちの歓声だけは、まだ、遍の知らない音だった。
少し行くと、犬を連れた老人とすれ違った。老人は遍に会釈をした。遍も会釈を返した。何百回、あるいは何千回、こういう会釈を交わしてきただろうか。老人たちは代替わりしていく。犬も代替わりしていく。遍だけが、同じ顔で、同じ会釈を返し続けている。
どこかの家から、テレビの音が漏れていた。聞いたことのない歌が流れている。遍は足を止めて、少しだけ耳を澄ませた。イントロが鳴り、歌い出しの一小節が終わる頃には、その先のメロディーがどこへ向かうのか、遍にはもう分かっていた。サビの手前で転調するのか、しないのか。しない方に、遍は賭けなかった。賭ける意味がないからだ。歌は、遍の予想通りの場所で、転調しないまま終わった。
日が落ちてから、遍は銭湯に寄った。家の風呂で事足りることは分かっている。遍の身体は汚れにくく、疲れもしない。それでも遍は、十日に一度ほど、この煙突のある建物に小銭を払って入る。理由を訊かれたら、答えに困るだろう。強いて言えば、他人の生活の音が、この町でいちばん濃く溜まっている場所だからだ。
番台には、腰の曲がった主人が座っていた。遍から小銭を受け取り、「はい、ごゆっくり」と言う。その声の掠れ方も、言うまでの間合いも、遍には分かっていた。脱衣所の籐籠の並び、体重計の錆、壁の広告の色褪せ方。何もかも、知っている通りにそこにある。
湯は、ちょうどよかった。遍の前に入っていた男が「今日はぬるいな」とぼやきながら上がっていったばかりなのに、遍が肩まで沈むと、湯は熱すぎも温すぎもしない、正確な適温だった。湯の方が譲ったのか、遍の皮膚の方が黙ったのか。どちらにせよ、遍はもう長いこと、熱い湯に顔をしかめるという経験をしていない。
湯船の縁で、老人が二人、明日の天気の話をしていた。片方が「降るね」と言い、もう片方が「降らんよ」と言う。どちらも根拠は自分の膝の痛みだった。遍には明日の空模様が分かっていたが、二人の賭けの行方には口を挟まなかった。降るかどうかを知らないまま、膝と相談しながら明日を待つ時間の方が、答えそのものよりずっと上等なものであることを、遍は知っていた。知っていて、それが自分には二度と手に入らないことも、知っていた。
富士山のペンキ絵を見上げながら、遍は湯の中で手足を伸ばした。天井近くの窓から湯気が逃げていく。誰かの桶の音が、タイルに反響する。こういう音の中にいると、遍は自分が、大勢の生活の隅に間借りしているような気持ちになる。悪くない錯覚だった。錯覚であることも、分かっていたが。
帰り道、深夜まで開いているコンビニに寄った。用があったわけではない。夜の中で、そこだけが白く浮いていたからだ。
棚には、今週発売されたばかりの菓子パンが並んでいた。遍は一つ手に取った。包みを開ける前から、味は分かっている。生地の甘さも、クリームの重さも、二口目で少し飽きがくることも。それでも買った。レジの学生は眠そうな目で品を通し、「温めますか」と、温める必要のない菓子パンに向かって言いかけて、途中でやめた。言いかけて、やめる。そこまでは、遍の知っている流れだった。ただ、やめた後で店員が自分に呆れて小さく笑った、その笑いの形だけが、半拍、予測の外にあった。
外のベンチで、遍は包みを開けた。味は、分かっていた通りの味だった。ただ、夜気で冷えた指先に、パンの生地のわずかな温みが移っていく感触——それだけは、事前の知識のどこにも書かれていなかった。世界の中身は全部読めるのに、世界の肌ざわりだけは、いちいち触れなければ届かない。遍がまだこの世界に留まっている理由をひとつだけ挙げるなら、たぶん、それだった。
家に戻り、灯りを消して、布団に入る。
眠る必要は、実のところ、ない。
遍の身体は疲れない。眠らなくても、翌朝の思考に濁りは出ない。だから遍は、眠る「ふり」だけをすることがある。目を閉じ、瞼の裏の暗闇を眺め、朝が来るのを待つ。何も起きない。何時間経とうと、何も起きない。
一週間、そうしていたことがある。まる一週間、百六十八時間、天井だけを見ていた。飽きたからやめたわけではない。飽きるという感覚すら、すでに擦り切れていたから、やめる理由もなかった。ただ、ある朝——それが本当に朝だったのかも定かではないが——起き上がる気になった。それだけのことだった。
何百年前だったか、正確には数えていない。数えることに、意味を感じなくなって長い。
遍は、かつて誰かが「これは絶対に崩れない」と言った壁を覚えている。見に行ったわけではない。ただ、それが崩れることを、崩れる前から知っていた。実際に崩れたという報せを、遍はいつもの静けさで受け取った。驚きは、なかった。
かつて誰かが「これは永遠に続く」と言った国のことも、覚えている。続かなかった。それも、知っていた。
かつて、ある広場で、若い王が冠を戴く儀式を見たこともある。太鼓が鳴り、群衆が歓声を上げ、若い王は誇らしげに、少し怯えたような顔で、遠くを見ていた。遍には、その王がどんな治世を敷き、いつ、どのような形で玉座を降りることになるかまで、儀式が終わる前から見えていた。群衆の歓声だけが、遍の知らない音だった。あの日、あの広場にいた何万人かの中で、次に何が起こるか分からずにいたのは、あの若い王本人と、群衆と——遍以外の、全員だった。遍だけが、すでに読み終えた本のページをめくるように、その儀式を眺めていた。
かつて、空に長い尾を引く星が現れた年のことも、覚えている。人々はあれを凶兆と呼んで戸を閉ざし、あるいは吉兆と呼んで酒を酌み交わした。遍には、あの星がただ通り過ぎるだけのものだと分かっていた。何ももたらさず、何も奪わず、暦の上を静かに横切っていくだけの、冷たい塊。それでも人々は幾晩も空を見上げて、震えたり、祈ったり、隣にいる誰かの手を握ったりしていた。遍は星ではなく、人々の方を眺めていた。分からないものを空に見つけて、恐れることのできる目を、あの晩ほど羨んだことは、なかったかもしれない。
かつて、山あいの寺で、碁を打つ老僧の相手を務めていたこともある。石の置き方を教わったのは遍の方だったが、ひと月もしないうちに、教わることは何もなくなった。盤の上のすべての先が、石を置く前から見えてしまう。遍は勝ちすぎないように打った。負ける時は、いちばん自然に見える負け方を選んだ。ある雪の晩、僧は盤面から顔も上げずに言った。「あんたの碁は、上手いが、つまらん。あんたは、負け方が丁寧すぎる」。遍は、返す言葉を持たなかった。それきり僧は勝ち負けの話をしなくなり、二人は盤を挟んで、ただ茶を飲むようになった。あの目のことを、遍は時々思い出す。世界が遍のために几帳面に丸めてくれるものの、その外側から届いた、数少ない目だった。
かつて、遠くの町で疫病が流行ったことがある。遍のいる場所には、その病は決して届かなかった。届かないことを、遍は知っていた。知っていたから、何もしなかった。何かをしていれば、届いていたのかもしれない。あるいは、何をしても届かなかったのかもしれない。どちらだったのか、遍には今も分からない。分からないまま、その町の名前だけを、覚えている。
かつて誰かが、遍のことを「不思議な人だ」と言ったこともある。それを言った人の名前は、もう思い出せない。忘れたのではなく、覚えている必要がなくなった、という感覚に近い。
覚えていることは、多い。驚いたことは、少ない。数えるまでもなく、少ない。
布団の中で、遍は今日のことを振り返った。ちょうどいい光。ちょうどいいコーヒー。避けていく雨。当たらないくじ。譲られたことにならない吊り革。読む前から分かる結末。名前を忘れられていく自分。喫茶店の店員の声の高さ。不意に笑い出した学生。跳ねる石の回数。会釈を返す老人。転調しなかった歌。文句のつけようのない湯加減。膝で明日を占う老人たち。言いかけて、やめて、笑った店員。夜気の中でパンから指へ移った、わずかな温み。
白い時間だった、と遍は思う。
眩しいわけでも、暗いわけでもない。ただ、何の情報も持たない時間。起こったことのすべてが、起こる前からそこにあったものの、単なる確認作業でしかなかった一日。今日という日は、遍にとって、真っ白な紙のようなものだった。文字はたくさん書かれていた。だが、そのどれもが、すでに読んだことのある文字だった。
唯一、白くなかったものがあるとすれば——子供たちの歓声の高さと、老人の犬の名前と、店員の声に混じっていた微かな訛りを、遍はまだ知らないということくらいだった。それだけが、今日というページの中で、かろうじてインクの匂いが残っている箇所だった。
それでも、と遍は思う。それでも今日は、心臓の位置が一度だけ、熱を持った。
その熱の名前を、遍はまだ知らない。長く生きてきて、たいていの感情には、もう名前をつけ終えたつもりでいた。喜びも、寂しさも、諦めも。だが、あの数秒間だけは、どの棚にもうまく仕舞えなかった。仕舞い方の分からないものが、まだこの世に残っているという事実だけで、遍は少しだけ、息がしやすくなった気がした。
遍は、闇の中で、ひとつだけ願ってみることにした。
大きな願いではない。世界を変えるつもりも、誰かを救うつもりもない。ただ、ささやかに、静かに、胸の奥の方で。
——明日は、何か知らないことが起きてほしい。
その瞬間、遍は小さく笑った。自嘲でもなく、諦めでもなく、ただ久しぶりに口の端が上がったという、それだけの動き。
私は今日、七百年ぶりに驚きたいと思った。
——思ってしまった、が正しい。願いはいつも、言い終わる前に叶うのだから。