MAMAKAMI

序話 会釈

四十年、同じ川沿いで、同じ人とすれ違っている。犬は三代替わり、妻は先に逝った。変わらないのは、あの人の会釈だけ——序話・読了目安 約三分。

朗読で聴く(約6分)

四十年、同じ川沿いを、夕方に歩いている。

犬は、三代替わった。今の犬は、マメという。真ん中が白い、雑種の柴だ。マメより前にいたのがハル、ハルより前にいたのがクロ。クロがまだ仔犬で、私の手のひらに収まるほどだった頃から、私はこの土手を歩いている。

妻は、先に逝った。橋は、一度架け替えられた。欄干の色も、昔とは違う。角の煙草屋は、もうない。膝は、近頃、下りの階段で鈍く鳴る。目も、遠くの旗の柄までは追えなくなった。

四十年、同じ川沿いで、同じ人とすれ違っている。犬は三代、替わった。妻は先に逝った。あの人だけが、変わらない。

週に何度か、土手ですれ違う若い人がいる。名前は知らない。歳の頃は、いつ見ても、二十歳の前後で止まって見える。交わすのは、会釈だけだ。言葉を交わしたことは、一度もない。

初めて見かけたのは、私がまだ四十代で、クロが仔犬だった頃だ。あの人は、今と同じ顔で、今と同じ歩幅で、土手を歩いていた。あのときは、大学生か何かだろうと思っただけだった。今も、似たような身なりで歩いている。歳月というのは、こちらの側にだけ、律儀に積もっていくものらしい。

おかしい、と思ったことは、これまでに何度もある。だが思うたびに、なぜか、夕飯の献立のことを考えている。味噌汁の実は何にするか、魚は焼くか煮るか。考えているうちに、おかしい、と思ったことの方は、いつの間にか隅に追いやられている。一度、家に帰って、妻に話そうとしたことがある。あの人のことを、どう切り出そうか考えているうちに、茶が入った。湯呑みを受け取る頃には、何を言いかけたのか、忘れていた。

「そんなこともあるか」

いつも、そこで終わる。考えの続きは、湯気と一緒に立ち消える。

一度だけ、川沿いの茶店で顔なじみになった男に、それとなく話を振ったことがある。「毎日みたいに見かける若いの、いるだろう。あの子」。男は、少し考えてから、「ああ、いろいろいるからな」とだけ言って、茶をすすった。誰のことを言っているのか、こちらにも分からなくなった。あの人だけを名指しで思い浮かべることが、話し言葉の中では、うまくできない。そういう性質のものらしかった。

妻がいた頃、二人でこの土手を歩いたことも、何度かある。妻は、あの若い人には気づいていなかったと思う。少なくとも、口にしたことは一度もなかった。もし気づいていたなら、私よりも先に、何か言い出していたはずだ。妻は、そういう人だった。今となっては、確かめようもない。

一代目の犬。二代目の犬。妻。橋。煙草屋。膝。目。——ぜんぶ、変わった。あの人だけが、変わらない。

数えれば、きりがない。数えるだけ、こちらの手元から失われていったものの多さに、気が滅入る。それでも、失われなかったものが、ひとつだけある。

私は、いつからか、解くのをやめた。年寄りの目のことだ、見間違いの一つや二つ、あって当然だと、自分に言い聞かせもした。奪われていくばかりの暮らしの中に、あの会釈だけが、いつまでも同じ形で残っている。

変わらないものが、ひとつくらいあってもいい。そう思うことにしたのは、私の方だった。

今日も、いつもの時間に、土手へ出た。夕方の光が、川面を細かく揺らしている。土手の草は、夏の名残でまだ青く、足元に長い影を落としていた。下流の方で、子供が二人、石を投げて水切りをして遊んでいた。歓声が、風に乗って届いた。三回跳ねた、五回跳ねた、と言い合っている。

マメが、匂いを追って、少し先を歩きたがった。引き綱を短く持ち直す。この動作だけは、三代の犬を通して、ずっと変わらなかった。

少し行くと、あの人とすれ違った。

会釈をする。あの人も、会釈を返す。マメの名を呼んで、私は歩き出す。

今日は、珍しく、考えが三歩ぶんだけ長く続いた。浮かんだのは、あの人が何者か、という問いではなかった。

あの人の今日が、どんな一日だったのか。

家に帰って、誰かとその話をするのだろうか。それとも、誰にも話さないまま、眠るのだろうか。

分からないまま、三歩目で、考えは切れた。夕飯の献立が、また頭に浮かんだ。今日は、魚を焼くことにした。

マメが、先を急かすように、綱を引いた。私は、その分だけ、歩幅を合わせた。

明日も、私は歩くだろう。犬がいて、膝が痛んで、あの人がいる。

あの人の今日が、どんな一日だったのか、私はそれを、知らないまま死ぬのだろう。

それも、そんなに悪いことではない気がしている。

会釈だけの間柄というのは、案外、悪くないものだ。

——彼の側から見た、その一日。
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